愛すべきピアニストのはなし
こんにちは。ピアノ教室MARE鵠沼海岸です。
今日は節分ですね。明日からは暦の上での春になります。
2024年の終わりに、いろいろなことが後回しになっていましたが、まだ大丈夫。2月2日までに済ませればOK
などと余裕でおりました。結局何も済んでいません・・・汗。
ポルトガルのピアニスト、マリア・ジョアン・ピレシュは
(私が若かった頃はピリスといわれていました)小柄で小さな手の持ち主です。
以前NHKでスーパーピアノレッスンという番組が放映されていたことを覚えていらっしゃるでしょうか?
テキストが古本として出回っていますよ、と生徒さんがお知らせくださいました。
また、YouTubeでも見ることができます。
数年前に一旦は引退報道が流れ、本当に驚きましたが
商業主義に嫌気が差した、気持ちに正直に純粋に音楽に取り組みたいという気持ちだったようです。
そういう気持ちに真摯に向き合い、嫌なことはやらないという姿勢は、ピレシュほどの巨匠であっても難しい
ことなのではないかと推察します。周りが放っておかないだろうな、と。
しかし世界文化賞を受賞した際のピレシュが会見で語った言葉は深く、心を揺り動かすものでした。
『身体への意識はアコースティック楽器を演奏する音楽家には非常に重要です。多くの人は想像力を恐れてい
ます。想像力は変化も意味するからです。わたしたちの人生は変化しています。
想像力は、誰にも損害を与えなければ常に100%前向きです。なぜなら想像力によって現実の人生を見つける
ことができる、本当のインスピレーションの源を見つけることができる、
本当の意味で真の愛の源を見つけることができるからです。』
『コンクールばかり経験してきたピアニストは、まるでロボットのような演奏をしていると感じています。
コンペティションのためだけに準備や演奏をする……結果、創造性やイマジネーション、そして作曲家に対する
敬意は失われ、統一された弾き方だけが残ります。そうした人は、真の意味で楽譜を読むことができず、
音楽のエッセンスを理解することもできません。現在のクラシック界は、コンクールで結果を残さないと演奏
家として食べていけない、という問題のある状況に陥っていますが、そんなものは幻想で、本来は一日10時間
もピアノを弾く必要はないはずなのです。』
私自身がコンクールの枠組みから早々にリタイアしてしまったのは、まさに嫌気が差したからでした。
課題が出され、練習につぐ練習。結果を残さなくてはならないプレッシャーとストレス。
今のようにたくさんのコンクールはなく、限られた中で小学校から高校までいくつかのコンペティションを
受け続けましたが、素晴らしく上手な子どもだったわけでもないので、まあそこそこの成績を残す程度のもの
でした。
いったい上手に弾くとはどういうことなのだろう。
審査員に「嫌われない」演奏とはどういうものなのだろう。
何も楽しくないと感じていました。
あれからあれからずいぶんと年月を経て
今はさらにビジネスのにおいがプンプンしていて残念に思います。
私の教室で、どうしてもコンクールに挑戦したい生徒さんとは、よく話し合って
音楽的にも人間的にも成長につながり、ピアノ以外の活動に大きな支障が出ないコンクールを選んで
受けることにしてもらっています。
本来、音楽は誰かと分かち合うもの。
こんなに素敵だよ、どう?と声がけできるもののはずです。
素敵にピアノを弾けるようになるには、もちろん労力も必要です。
いつか私のもとを離れても、引き続きピアノを愛し続けられるように基本に忠実に、
でも想像力豊かに、想像したことを形にしていけるようなピアノレッスンを続けていきたいです。